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現代画報で秋見つけた
10月号“現代画報”の表紙に目と足が同時にとまる。 朱色に染まる、京都・金蔵寺の紅葉。 本堂へあがる階段は、 紅葉のトンネルと紅葉のじゅうたんで 目にしたものを秋へと誘う写真である。 特集は、[脱・原油依存型社会の実現に向けて]。 相変わらず興味深いテーマだ。 これまで「報道」、「経済」、「社会」などに疎かったこんな 自分でさえ、原油価格の高騰により、ドライブや朝ごはんといった日常のささやかな幸せでさえも薄く小さくなっていく今に不安に感じる世の中だ。やれ通り魔だの、無差別殺人だの、オレオレ詐欺だのと物騒な事件が毎夜テレビやラジオのニュースから報道されるようになって、気づけばもう随分になる。 つい先日のことのように思われていたディズニーリゾートの拡大や皇太子様の結婚・・・といった世間を幸せにする明るいニュースは、今や報道番組の中に組み込まれる空きさえ失っているし、あってもスポーツ報道くらいである。 そんな息苦しさの中において、現代画報が問いているのは、「我々がいかに原油に依存しているかということ」である。間違ってはいけないのが、暗い話題ではないということ。これらを背景にして落ち込むばかりでは、回復を待つばかりでは、進まないということ。崖の淵にいるからこそ発せられる、新たなエネルギーがあるのだ。 一度失敗や挫折をした人は、周囲の優しさや大切さに誰よりも分かるようになるし、恐れるものも無くなる。一度大きな過ちをおかした人は、二度と起こらないようにするための策を身につける。阪神大震災という自然の大災害を経験した私たちは、おそらく同じことがあっても、あのときの教訓を少なからず生かせるはずである。 それら同様に、現状をよく見てこそ現れる道筋があると思う。それが見えたとき、きっと各報道番組からは、明るいキャスターの声が聞こえるはずである。 奥深き日本語 外国映画の和訳字幕を見ていればいるほど、日本語の表現は実にたくさんあるのだということに改めて気づく。 1つのことをあらわす単語や文がたくさんあって、使い方や使う場所によって相手への微妙な伝わり方が変わってくる。 例えば・・・・ 嬉しいわ 嬉しいよ 嬉しいの 嬉しいです 嬉しい 嬉しいっ 嬉しっ など。メールに書くときにも、最後につける語尾を何度も書き換えることだってるくらい、たくさんある。 こうした表現の多い難しい日本語のおかげで、近年は間違った日本語が当たり前に使われていることが問題視されているようだ。 例えばカフェに行って、珈琲を注文すると 「珈琲のほうでよろしかったでしょうか」 と店員が注文を繰り返してくる。 ※何気なく「はい」と応えているが、 「珈琲と紅茶の二者選択」から選んでいるわけではないため 「珈琲でよろしいでしょうか。」 でいいはずだ。そしてさらに、過去に注文したものを掘り返してきているわけではないので「よろしいでしょうか」が語尾にくるのだ。 つづいてお金を支払うと、店員が 「500円からお預かりします」 といってお金を受け取る。しかし、ここでも大きな間違いが有る。500円「から」1000円(仮に)までといった曖昧な数を支払っているわけではないので、「500円お預かりいたします」でいい。 さらに出来た珈琲を持ってきて 「こちら珈琲になります」 と言って珈琲を差し出す。ここでも、ストップである。珈琲はこの後珈琲に変身したり、あるいは何かに変身するわけではないので、「お待たせしました。ご注文の珈琲でございます。」で充分だ。 このように、いいやすさやよく聞く言葉を何気なく使うと間違った日本語ばかりで暮らしていることになる。 これを聞いて育つ子供たちや、各地で聞く外国人観光客も間違った日本語を当たり前のように覚え、使っていく。やがて日本は間違った日本語だらけとなってしまう。 恐ろしいもので、人間はなれると違和感がなくなってしまい、逆に定着した後で訂正されたことにより強い違和感を覚えてなかなか修正が効かないというようなことにもなる。 私達は日本に産まれ、たくさんの表現により、より豊かに物事を捉えて伝えることができるのだから、それを誇りに思いながら正しい日本語を巧みに使いたいものだ。 参考文献:国際通信社グループ 報道通信社/報道ニッポン DVの被害の対策 今日のニュースでDV(ドメスティック・バイオレンス(ドメスティック・バイオレンス=配偶者間暴力)について、以下の記事があった ※以下抜粋 ----------- 1月に施行された改正DV防止法で、市町村の努力義務とされた「被害者支援の基本計画」を作成した自治体が、全国1782市町村で3市しかないことが内閣府の調査で分かった。同様に努力義務となった「配偶者暴力相談支援センター」設置も8市のみ… 以下省略 ----------- DVの現状がどれだけ認識されていないかということの表れのように思う。ニュースなんかでは、妊婦受け入れ拒否や、未検診、詐欺問題や殺害や強姦などが取り上げられ、死に至るような暴力でなければとりあげられないせいか、DVという言葉さえみんな知っているが、その実態や現状を全然把握していないのだなと改めて感じた。 私の周りでは、DV被害によって離婚を望んだが、それさえ言い合う場がもてないと命からがらといった形で(言い過ぎではない)子供を抱えて実家に逃げ隠れているような人が2人もいる。 何も悪いことをしてないのに、出かけるにも怯え、電話の着信音でもビックリするような生活を送っているのだ。 人目に付かないように行なわれるこよの多い家庭内の暴力を他人が防ぐことは非常に難しい。だからこそ、被害者支援の基本計画がたちあがったのだ。“立ち上がった”という事実は、既に深刻化しているからこそ起こることであることを、公的な機関で働くひとはもっと理解するべきではないだろうか。 報道ニッポン 現代画報 国際ジャーナル 国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報 国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報 |
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