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初めてみる国際ジャーナルに掲載
つい先日、またもニュースで牛乳の価格が上がると報道されていた。パン、小麦粉、牛乳、が例えば20円上がれば、それぞれ1ヶ月に買うだけの個数×(かける)20円しなければならない。すると今回も、牛乳の欠かせない我が家は、一週間に2本のスピードだからまた毎月100円ほどの節約をして牛乳へまわさなければならない。既にしているパンや小麦粉への節約に加えての今回の節約…。“節約”って言うけど、どの家庭も、もう節約しすぎて節約する箇所すらないんじゃない?これだけみんながんばってるんだから、たまにフレンチでコース料理くらい食べたいのに、それすら節約、しないといけない時代なんだろうと思うと、お先真っ暗。

で、昨日バーのカウンターで牛乳値上げが苦しいと嘆いていると、日本が抱える物価の下落を指摘された。デジカメは今や2万円も出せば何百万画素数に加え、ズーム、顔認識機能という高性能のものが簡単に買える。大型液晶テレビも、10万円出せば、部屋に似つかわしくないほど大きなものが買えてしまう。牛乳は10円上昇しているかもしれないが、大型製品は何千円、何万円も下落していっているのだ。もちろんこの下落は消費者にとってみればありがたい話だけど、これは、各社から、選びきれないほど多くの製品がでていて、その製品を売るために作るために、米や牛や作物を育てている人の倍ほどの人が働いているということなのだ。


もちろんこの製品や製品に関わる技術は日本にとって大きくそして大事な財産だけど、今日や明日を生きるために必要な食料が数ヶ月に1度上がっているのでは、日本人という最も大事な財産を苦しめることになっている。果たして、私たちはそれほど苦しい思いをして生きないとダメなのか?DVの被害の対策
今日のニュースでDV(ドメスティック・バイオレンス(ドメスティック・バイオレンス=配偶者間暴力)について、以下の記事があった
※以下抜粋
-----------
1月に施行された改正DV防止法で、市町村の努力義務とされた「被害者支援の基本計画」を作成した自治体が、全国1782市町村で3市しかないことが内閣府の調査で分かった。同様に努力義務となった「配偶者暴力相談支援センター」設置も8市のみ…
以下省略
-----------

DVの現状がどれだけ認識されていないかということの表れのように思う。ニュースなんかでは、妊婦受け入れ拒否や、未検診、詐欺問題や殺害や強姦などが取り上げられ、死に至るような暴力でなければとりあげられないせいか、DVという言葉さえみんな知っているが、その実態や現状を全然把握していないのだなと改めて感じた。

私の周りでは、DV被害によって離婚を望んだが、それさえ言い合う場がもてないと命からがらといった形で(言い過ぎではない)子供を抱えて実家に逃げ隠れているような人が2人もいる。

何も悪いことをしてないのに、出かけるにも怯え、電話の着信音でもビックリするような生活を送っているのだ。

人目に付かないように行なわれるこよの多い家庭内の暴力を他人が防ぐことは非常に難しい。だからこそ、被害者支援の基本計画がたちあがったのだ。“立ち上がった”という事実は、既に深刻化しているからこそ起こることであることを、公的な機関で働くひとはもっと理解するべきではないだろうか。DVの被害の対策
今日のニュースでDV(ドメスティック・バイオレンス(ドメスティック・バイオレンス=配偶者間暴力)について、以下の記事があった
※以下抜粋
-----------
1月に施行された改正DV防止法で、市町村の努力義務とされた「被害者支援の基本計画」を作成した自治体が、全国1782市町村で3市しかないことが内閣府の調査で分かった。同様に努力義務となった「配偶者暴力相談支援センター」設置も8市のみ…
以下省略
-----------

DVの現状がどれだけ認識されていないかということの表れのように思う。ニュースなんかでは、妊婦受け入れ拒否や、未検診、詐欺問題や殺害や強姦などが取り上げられ、死に至るような暴力でなければとりあげられないせいか、DVという言葉さえみんな知っているが、その実態や現状を全然把握していないのだなと改めて感じた。

私の周りでは、DV被害によって離婚を望んだが、それさえ言い合う場がもてないと命からがらといった形で(言い過ぎではない)子供を抱えて実家に逃げ隠れているような人が2人もいる。

何も悪いことをしてないのに、出かけるにも怯え、電話の着信音でもビックリするような生活を送っているのだ。

人目に付かないように行なわれるこよの多い家庭内の暴力を他人が防ぐことは非常に難しい。だからこそ、被害者支援の基本計画がたちあがったのだ。“立ち上がった”という事実は、既に深刻化しているからこそ起こることであることを、公的な機関で働くひとはもっと理解するべきではないだろうか。

国際ジャーナル
現代画報
報道通信社
報道通信社
現代通信社
[ 2009/01/29 12:34 ]

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詐欺問題も国際ジャーナルから発展して
高齢者問題
ここのところ、ドキュメンタリー番組が増えてきている。
その背景には、1時間でさえもテレビの前にじっとしておけない
若者のテレビ離れの進む中、いかに短時間に面白いものを
見せるかとしてきた結果、内容が薄くワンパターンとなった風潮が
ある一時代を追え、ホンモノ志向に変わりつつある視聴者へ向けた
一種の挑戦でもあるのかもしれない。

その成功を売らずけるかのように、先日放送された、
かつて大人気を博した役者の老後生活を追いかけたドキュメンタリー番組が高視聴率を記録したそうだ。

実は、私も釘付けになってその番組を見ていたひとりだ。

現在人の手を借りなければうまく生活のできない妻と、その妻を献身的に支える夫。かつて活躍していた夫婦は、おおきなお屋敷を離れ、都内のマンションで細々と暮らしているのだと、テレビが伝えていた。

我が家も例外ではない。早くに妻をなくしてしまった私の父は、仕事をしながら、そして介護なしでは生活のできない祖母を介護しながら、二人の娘を育てている。世間とは、一般的大多数の状況をとって判断するからか、父子家庭の我が家にはほとんど国からの援助はない。加えて、高齢化社会の進む昨今で、簡単に低価格で介護施設を利用することは困難である。

こうした救いの手すらどこにもない中で、今やこうした介護問題は、おそらく隣の家でも、隣の隣の家でも起こっているだろう。来年、再来年になれば3軒隣も4件隣の家にも、ひどい地域では町全体がそうなる。

一方では介護を避けて同居を拒ばみ、介護放棄によって死者が出たりする。元気なお年寄りは詐欺などの標的とされやすいと数々のところで言っているが、おじいちゃんやおばあちゃんがしっかり生きてきたからこそ今があることを考えなければならない。自分達がおじいちゃんやおばあちゃんになったときのことを考えなければならないのだ。

次代を担うのだという責任の持ち方が、極端に分かれてきている現状をとても不安に思う。いち時代の終幕
90年代の音楽シーンを担ってきたとも言っていい人が
詐欺容疑で逮捕されたというニュースがここのところ毎日流れている。

庶民である私は、毎日スーパーで190円のトマトにしようか
250円のトマトにしようかと迷いながらも、
当たり前のように190円のトマトをかごに入れる。
でも、早く250円のトマトが買える豊かさがほしいと
願っていても、たとえ多少の出生でお金が稼げたところで、
250円のトマトは私にはいつまで経っても買えないのだと思う。

おそらく私は、金銭的な豊かさをもっても、トマトの優先度を下げて
いい車を買い、いい家を買い、遠くへ旅行に出かけてしまうのだと思う。
結局のところ、節約している箇所(=250円のトマトトマトを買うこと)
が変わることは、宝くじの1等前後賞付で当たらない限りは
訪れることはなく、ずっと庶民でい続けるのだと思う。

それでも私は、ひろい家に住めるのなら、190円のトマトは
いつまででもおいしく食べられる。なんなら100円のトマトでもいい。


渦中の音楽家も、トマトは250円を食べていたかもしれないが、
どこかで同じ節約をしていたのではないかと思う。
10億を稼げば、5億を必要とする事業をするだろうし、
1億円の買い物をいとも簡単にするだろう。
豊かさの度合いや感覚は違うが、全体の割合は
案外私達とそう変わらないのかもしれない。

一度頂上まで上り詰めてしまった人が、
次に目指すのは、更に高い山の頂上だ。
簡単に買える250円のトマトでは満足できない。
190円のトマトを美味しく食べるには、
250円のトマトを買えない生活をしなければいけない。

大きな山へ何度も何度もくじいて転びながら上ったのであれば
山の下へ戻る方法は一気に崖へ転落する以外はないのかもしれない。

ただ、もう深い崖の下を見たのだから、それ以上の下はもうない。
100円のトマトも190円のトマトも美味しくありがたくいただける。
美味しい250円のトマトを食べられる努力を知っているのだから、
後は上を見て、これまでの知恵を生かして素早く上ればいいのだ。

90年代はとっくに終わって2000年が既に始まっている。
2010年代、20年代が先には待っていてくれるのだから、
着実にそこに向かえばいいのだと思う。いいもの時代へ
機械よりも性格な形や機能を持ち合わせた職人技を
何年も受け継いでいる会社や人がいれば、
勧誘詐欺や悪徳商法など、悪知恵ばかりを働かせて
楽に大金を得ようとしている人もいる。

昔ながらの伝統工芸など職人の腕が必要とされる業界は、
かつてほどの需要が無く、その世界で生き延びて行くには
大変な苦労をされている。共に切磋琢磨してきた同業者は
次々と世界から身を引いていく。
しかし、需要の数に見合う数まで低迷した業界は今、
苦しい時代を乗り越えて生き抜いた職人さんが大忙しだ。

詐欺や悪徳商法がどんどん深刻化していることが大きく取り上げられる
現代、実はこうした地道な努力が身を結んでいる現状が数多くある。
そしてこれらは今後、どんどん増えていく。そうなったとき、詐欺や悪徳商法は生きられない世の中になるだろう。人はかしこい。本当にいいものとは何か、本当にいい道とは何か、をしっかりと考えられる。

だから私は今か今かとそんな時代を待っている。

現代画報
現代画報・国際ジャーナル・報道ニッポン
国際ジャーナル
現代画報
現代画報
[ 2009/01/29 12:34 ]

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詐欺問題も国際ジャーナルへの思い
国際ジャーナル最新号
バタバタしていて、かなり遅れてしまったが、
国際ジャーナル11月号。
特集は「連鎖する無差別殺傷事件の悪夢・凶行の陰に潜む孤独な心」
だそうだ。

今日、明日、明後日の出勤中や帰宅中、もしかしたら仕事中に襲われるかもしれないという不安が常にある。人の多い駅や街中を歩いていると、次の瞬間指されるかもしれない、と人のカバンや手を目で追っている自分がいる。

特に目的もなく、あるいはちょっとした理由から殺人を犯す人が後を立たない。いきなりナイフで切りつける相手が親友や家族や誰であろうかまわず凶行する恐ろしい人物が、残念ながら稀ではなくなってきている。

防犯ブザーももはや効き目がない安心道具。
監視カメラも結局は事件を未然に防ぐことができない後の道具。
何もしてなくても、“無差別"にやられてしまうのだから、
もう個人での事件の防ぎ方は、家に引きこもるくらいしか
残されていないのではないだろうか。経費削減
再び大きな就職難の波。
来年度の内定の取消が多くの企業から発表されたと
いろんな番組で言っている。

派遣社員を30%削減したり、
アルバイト雇用を増やしたりと
あの手この手でどうにか削減を図っている。

雑誌の廃刊や休刊も目立つなか、
昨日のニュースでは新聞社が夕刊を休刊すると出ていた。

いろいろなものがシステム化した世の中、
アナログな仕事をなくなっていくので、
どんな仕事でもいいからと、何かにしがみつくのも
もう難しくなってきている。

私はといえば、そんな不況の世間が
いろいろなものがなくなって
静かで暗い世の中にならないようにと願いつつ、
働いたお給料を毎月めいっぱい使っている。
(とはいえ、これは浪費家ともいえるのだが・・・)

せめて少しのお金でも毎月ホイっと使って明るい気持ちになりたいものだ。経済月刊誌の現代画報では、
近年のモンスターペアレントと呼ばれる保護者達の
モンスター化する理由は、教師への社会不信だけではないと書いている。

別の理由は、“家庭のゆとり”が減っていることによるものだ。
雇用機会均等法が浸透し、経済悪化が進む中、共働きは当たり前となり
父母のどちらもストレスを抱えるようになってきた。働いている分、当然子供と接する時間は限られていて、目をやる時間や余裕などが少なくなっている。

そんな中、自分の意見を爆発させる場所を無くした親が、家庭内の問題を教育機関へとぶつけたり、愛情のかけ方を間違えた表現として教育機関へ無理難題を押し付けている。

もちろんこれが全ての理由ではないため、極端に捕らえてしまってはいけないが、すくなからずこうした影響はあるのではないかということだ。

そう考えると、モンスターペアレントが悪者としてとりあげられているが、実はモンスターペアレントの行動は、保護者のSOSではないだろうかと思えてくる。誰もが被害者になってしまいやすい不安定な状況下、ひとつひとつを丁寧にゆっくりと立て直していくことが必要だ。

現代通信社
国際ジャーナル
報道ニッポン
国際ジャーナル
現代画報
[ 2009/01/29 12:33 ]

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経済誌:国際ジャーナルとの再会
ご近所トラブルから殺人事件へと発展したニュースが
テレビで取り上げられていた。

こういったニュースのときに必ずあるのが
近所の人へのインタビューだ。決まって、
そんなことをするような人には見えない
とか普段から少し神経質な人だったとかいう言葉が聞かれる。

ニュースによって評判がいい人も悪い人もいるので、
一概にどちらがいいも悪いもあまりないように思う。
難しいところだけどもう少しニュースの伝え方を変えていってもいいのではないだろうか。DVの被害の対策
今日のニュースでDV(ドメスティック・バイオレンス(ドメスティック・バイオレンス=配偶者間暴力)について、以下の記事があった
※以下抜粋
-----------
1月に施行された改正DV防止法で、市町村の努力義務とされた「被害者支援の基本計画」を作成した自治体が、全国1782市町村で3市しかないことが内閣府の調査で分かった。同様に努力義務となった「配偶者暴力相談支援センター」設置も8市のみ…
以下省略
-----------

DVの現状がどれだけ認識されていないかということの表れのように思う。ニュースなんかでは、妊婦受け入れ拒否や、未検診、詐欺問題や殺害や強姦などが取り上げられ、死に至るような暴力でなければとりあげられないせいか、DVという言葉さえみんな知っているが、その実態や現状を全然把握していないのだなと改めて感じた。

私の周りでは、DV被害によって離婚を望んだが、それさえ言い合う場がもてないと命からがらといった形で(言い過ぎではない)子供を抱えて実家に逃げ隠れているような人が2人もいる。

何も悪いことをしてないのに、出かけるにも怯え、電話の着信音でもビックリするような生活を送っているのだ。

人目に付かないように行なわれるこよの多い家庭内の暴力を他人が防ぐことは非常に難しい。だからこそ、被害者支援の基本計画がたちあがったのだ。“立ち上がった”という事実は、既に深刻化しているからこそ起こることであることを、公的な機関で働くひとはもっと理解するべきではないだろうか。DVの被害の対策
今日のニュースでDV(ドメスティック・バイオレンス(ドメスティック・バイオレンス=配偶者間暴力)について、以下の記事があった
※以下抜粋
-----------
1月に施行された改正DV防止法で、市町村の努力義務とされた「被害者支援の基本計画」を作成した自治体が、全国1782市町村で3市しかないことが内閣府の調査で分かった。同様に努力義務となった「配偶者暴力相談支援センター」設置も8市のみ…
以下省略
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DVの現状がどれだけ認識されていないかということの表れのように思う。ニュースなんかでは、妊婦受け入れ拒否や、未検診、詐欺問題や殺害や強姦などが取り上げられ、死に至るような暴力でなければとりあげられないせいか、DVという言葉さえみんな知っているが、その実態や現状を全然把握していないのだなと改めて感じた。

私の周りでは、DV被害によって離婚を望んだが、それさえ言い合う場がもてないと命からがらといった形で(言い過ぎではない)子供を抱えて実家に逃げ隠れているような人が2人もいる。

何も悪いことをしてないのに、出かけるにも怯え、電話の着信音でもビックリするような生活を送っているのだ。

人目に付かないように行なわれるこよの多い家庭内の暴力を他人が防ぐことは非常に難しい。だからこそ、被害者支援の基本計画がたちあがったのだ。“立ち上がった”という事実は、既に深刻化しているからこそ起こることであることを、公的な機関で働くひとはもっと理解するべきではないだろうか。

現代通信社
報道ニッポン
現代画報
国際通信社
国際通信社
[ 2009/01/29 12:33 ]

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経済がわかる国際ジャーナルは幅広い
モンスターペアレント
現代画報7月号の記事では
「モンスターペアレント」の深刻化の原因として上げられるのは、
教師不信からがひとつとしてあげられると書いています。「うちの子を任せておけない」そういった保護者からの言葉は、とても多く聞かれるそうです。では、なぜそんな声があがるのか。

この原因の一つは、現在の保護者が学生だった頃の教育環境が大きく影響しているのではないかといわれています。タバコや校内暴力が頻繁に行なわれていた時代で教師と生徒が互いに信頼をしたり尊重したりすることの無かった現在の保護者は、「教師なんて」という意識を持っている。そこへ、近年のいじめ問題や自殺問題を解決できない学校がニュースで聞かれるとなると、親は当然のように学校への信用をなくしてしまっているのです。

「自分の子を大事にしたい」という親心は、決して否定することはできません。しかし、集団教育の現場において「自分の子を誰よりも大事にする」行動は自分勝手極まりないと思います。

中には、「子供とケンカをした相手の生徒を転校させてほしい」といった“普通”ではない保護者からの依頼を受けることもあると書いています。保護者であるならば、自分のその行動が、現代の教育現場にどのような影響を与えるかを考えなければならないと思います。

現代の教育現場は、未来の社会に繋がります。そして未来の教育現場に繋がります。愛する子供がやがて大人になって子供を育てるときに、どんな問題が起こっている社会が待っているのでしょうか。あといくつ寝るとお正月?
早くも今年の紅白歌合戦の出演者が発表されました。
このニュースを聞くと毎年、あ、もうそんな季節かと驚きます。
まだまだ秋を楽しみ始めたばかりだと思っていましたが、
気づけばクリスマスまであともう少し。
早く年賀状を書かなければ元旦の朝に挨拶ができない羽目になってしまいます。

こうして毎年そわそわとしながら慌しく新年をむかえているので、そろそろのんびりとお正月を迎えたいものだなと思っています。

テレビやネットから、詐欺や殺人や強姦の事件よりも、年賀状やお正月の特別番組、紅白歌合戦や初詣などの季節の話題が多くなる時期はとてもほっとします。どうか、今年もあと少し、こうしたたわいもないニュースや報道ばかりが耳にとどきますように。8月の国際ジャーナルの時事コラムで見つけた「学校裏サイト」の題。
私が高校生だった数年前は、まだ「裏サイト」なんて言葉はなかったが、
それでも、ケータイを駆使する人たちから見せてもらった。
自分の通っている学校の裏サイト。

主にBBSと呼ばれる書き込みページのみで作られているそのサイトを
あえて傍から見てみると、知っている名前がいくつか出てくる。

いわゆる 人 気 者 の生徒の名前である。

発起人や発言者が誰かを分からなくするだけでなく、
誰かに偽ることができることを悪用することも可能な
ツールだけに、その恐ろしさは無限である。

“誰でも知っているような人気者”でも、
誰かのひょんな一言で、“嫌われ者”にさえなってしまう。
ちょっとした一言が、許されなかったり、
ちょっとした行動で、取り返しが付かなくなったり、
間違えや失敗やうっかりが、認められないようだ。

誰も本質を見ていない(見なくなった)のかな。

嫌なことや楽しいことがあっても、
何も無かったかのように平凡に毎日を暮らせば、
誰かに何も言われずに平和に暮らせる、といった“間違い”を
皆で認めるのではなく、

嫌なことや楽しいことがあった時に、
それらを時に共有して見守って暮らすことで、
刺激ある人生や平和な毎日を送れる、といった“幸せ”を
当たり前にしていくべきだと思う。


放課後以降の時間に、ケータイだけみてるほどもったいないことはない。
学校以外の友達や家族との大切な時間だと思うから、
いっそ、
学校以外でこそケータイ禁止になっちゃえばいいんじゃないかな?
って、それはいいすぎかな。

国際ジャーナル
現代画報
報道通信社
現代画報
現代画報
[ 2009/01/29 12:33 ]

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詐欺問題考察:国際ジャーナルとの巡り合い
特別支援教育って?
さっきまで読んでいた国際通信社の出してる経済誌に
特別支援教育って記事を見つけました。

このほど教育機関では制度を見直し、
特別支援教育を全ての学校において推進していく
という教育法が規定されたそうです。

何故今こうした動きがあったかについては、たぶんいろんなところでそれぞれが気づいていたことなのかもしれませんが、対象となる子供たちを一口に“障害者”と断定して同じ教育機関で学修させることが難しくなったからです。

現在、LDやADHDといった名前で呼ばれる特定分野において極端に苦手な側面が見られたり、注意力や衝動性他動性が年齢に対して不釣合いと診断される子供たちは、かつては、「怠けている」といわれたり、「不真面目」だと言われ、低い評価を受けてきましたが、現在はそれが障害として認められるようになりました。

そうした子供たち一人一人にあった指導や支援を行なうことが、この教育法の改善ということです。さまざまなところでは、こうした子供たちが増えていると言っていますが、果たしてそうなのでしょうか。認められる世の中になっただけではないかとも考えられるのではないでしょうか。

とはいえ、少しずつでも問題が解決に向かうことはいいことですよね。全く同じ人間はいないのに、多くの人が共存する世界では、ルールや一般的と呼ばれることにあわせなくてはいけないのが現実です。しかし、その中でも理解されず苦しみながら生きている人も少なからずいるのです。

難病と認められない思い病を抱えた人がたくさんいるのと同じですね。少しずつあらゆることが明らかになっていくのを祈っています。健康第一
「脳卒中」が、現在の日本における死因の第三位になったことを現代画報で知った。現在の患者数は270万人以上。1位の「がん」2位の「心疾患」に迫る勢いだ。

脳卒中を起こすと、言語障害や手足がまひし、介護が必要になってくる。若者の老人介護の負担が大きくなることが懸念されるので、特になりやすいため高齢者は充分注意しておかなければならない。

介護問題は、いくら本人が前向きに取り組んでも、仕事や家庭を犠牲にせざるを得ないことも多々出てくる。一人一人が健康に気をつけなけれあば、自分や周囲だけでなく、大きな社会の問題に関わってくることを自覚しておくのも必要なのではないかと思う。

では、脳卒中にはどういうことに気をつけたらいいのだろうか?
報道画報には以下のようなことがまとめられていた。

脳卒中とは脳の血管が詰まったり破れること。これは、食事の欧米化によって糖分を取りすぎたりコレステロールを摂取しすぎて高血圧や糖尿病といった生活習慣病の増加に原因があるとされているそうだ。
できるだけ塩分や糖分の取りすぎに注意し、バランスのよい食事を心がけないといけない。
また、適度な運動やストレスを溜め込まないようにすることも大切だといっていた。

高齢者が多くなる一方では、介護できる世代の人口増加がある。今後みんなが快適で健康な生活を送るためにも、気をつけて生活していきたいものだ。会社などの組織には、一人一人が自ら読み取るルールがあるように思う。そのルールは、上司や後輩や同僚から学ぶ。たとえ学ぶ姿勢が自分や相手になくても、人は集団生活においてそれらを学んでいく。もちろんそのルールがずれていたりないとすれば、組織のルールはなくなる。一見これはその組織だけの問題にも思えるが、実はこれは社会の大きな被害の一部である。

例えば、課長が平社員の働く前でパソコンに向かって仕事をしながらタバコを吸うとしよう。社員達は嫌だと思いながら何も言えずに過ごすだろう。そこへ、新入社員が入社してくるとどうなるか。初めて会社に来た社員はタバコをすいながら仕事することは、「会社の姿」だと認識するだろう。

極端な例だが、新入社員にとっての親は上司や同僚であると思う。悪気のないこともあることも、全て学んで蓄積することができる(してしまう)。大学の教科書には「タバコをすいながら仕事をしてはいけない」という文字はどこにも書かれていないし、就職活動を目前に控えた大学生達に先生はそんな当たり前のことは教えないし、何故いけないのかということも教えていない。道端で寝そべって本を読んではいけないということや、電車のシートであぐらをかいてはいけないということを誰に教わるでもなく皆が知っているように、自然に学ぶことは山ほどある。

組織の中では一定のルールを読み取って実行しなければ、次代は少しずつずれておかしくなっていく。10年後や20年後崩れないとしても、30年後には必ずそうした組織は崩れるし、組織を崩してきた人々は違う組織も崩し、やがて世間がすこしずつ狂い出す。小さなたばこの吸殻で地球が泣いているように、小さなおきて破りで大きな社会が苦しむことになる。

国際通信社発行:現代画報の会社インタビューでは、さまざな組織の理念が読み取れる。誰が正しくて誰が正しくないという答えを見つけ出すことは組織の中では難しい。しかし、こうした組織の有り方を読んでいると、学ぶべきことは実にたくさんある。

報道ニッポン
現代画報
現代通信社
国際ジャーナル
報道通信社
[ 2009/01/29 12:33 ]

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愛読書、国際ジャーナルに掲載
都会の喧騒から脱走
3連休、岐阜へ行ってきました。
旅にでかけるときには、ほとんど電車を利用するのですが、
今回は車で出かけました。旅の途中、ガソリンを給油しようと
ガソリンスタンドへ入ると、一時期ドライバーをこれでもかと
苦しめていたガソリンの価格が随分おちついていました。

まだまだ街ではパンや牛乳、バターが高級食材といわんばかりの
値上がりを続けていますが、せめてたまの休日に遠出する
ドライバーのお財布に優しいガソリン価格が続いてほしいものだと
切に願っています。

さて、岐阜県は養老町というところへ言ってきました。
養老といえば、“養老の滝”でおなじみですが、ここは名水の地です。
こんこんと湧き出る山の水は、冷たくてすーっと喉に入っていきます。
すでに紅葉が始まっており、山が少し黄色や赤く染まってきていました。
岩を打つ滝のしぶきが風にのり、時折ほほに当たるのが
なんとも気持ちよかったのです。

都会の喧騒から離れて、こうした大自然を味わっていると
なんだか異国の地へ来たような壮大な気分に浸れます。

テレビのニュースでは、詐欺だ偽装だ殺人だと毎日毎日
暗いニュースばかりだけど、ふと自分の周りに起こった出来事を
小さなニュースにしてみると、ちいさな幸せが溢れているのだと
気づかされました。

宝くじが当選しなくても、役職が上がらなくても、
お金持ちになれなくても、幸せを目指さなくても
素晴らしい空気の中で生きれているのかもしれません。都会の下町
年に数回、東京へ行きます。
東京にはたくさんのお店があるので、
行くと必ず渋谷や原宿といったいわゆる繁華街で
ショッピングを楽しむことが多かったのですが、
最近はどうも人通りの多く、慌しいあの雰囲気に
疲れてしまうので、出来るだけ比較的人の密集していない
場所を選らぶようになって来ました。

しかし、それ以来
東京はとても栄えた街という印象しかなかった私ですが、
意外にも普段よく見るのんびりした田舎町があることを発見し
それが今、東京観光の楽しみの一つとなりました。

中でも、都電荒川線は、東京の町に走る路面電車で、
わずか2両のみのワンマンカーです。各駅は、どこの田舎か
と戸惑うほど小さく、駅の周りには一軒民家が立ち並び、
ところどころには駄菓子屋があったり、大衆食堂がひっそりと
営業しています。そんな“下町”らしい風情を残した光景を見ていると
数年前、数十年前の東京を少しのぞいているような気分になってきます。

大きく発展した東京にも当たり前に着実に普通の暮らしを
この町でしている人がいるのだという光景から、
それほど東京は遠くないのだなと思えて嬉しくなります。

以前「現代画報」の地域特集でも、東京の魅力は最先端の流行を発信する町の裏にある、例えば「浅草」などの人情味あるれる下町なしでは語れないと言っていた。六本木ヒルズや新丸ビルの町にある“音”とは違う下町の“音”からは、下町の活気が伺い取れるという。そこには、野町の声やお寺の鐘の音、商売人の掛け声が聞こえてくるそうだ。食品の安全
こころのところ、本当に安全な食品はどのようにしたら手に入るのか、
という疑問ばかりが頭に浮かぶ。スーパーに行って加工品などに手にとって裏面を見ると「製造社」と書かれているものや、「販売社」「販売元」「輸入元」などと書いてある。「製造社」はその名の通り、製造しているのだとは思うが、販売社だけを書かれても、どこで作られているかも分からないものを食べていることになる。

国内外問わず、異物の混入や薬品の混入、産地偽装が相次ぐ中、頼れるものは何もないのかと思うと、これからがますます心配だ。

なるべく、「製造社」表記がされているものを見て購入するよう心がけているが、それでも、一から製造しているのか、最後のパッケージングだけをしているのかは分からない。事実、洋服などの“MADE IN ○○○”は、最終工程を行なった国だと聞いたことがある。例えば、最後のボタン付けだけを日本でやっていたとすれば、そのほかの工程(いわば服を作るほとんどの工程)が他国で行なわれていても日本製ということになるのだ。


消費者は、商品に表示についてもう少し詳しい情報を得てもいいはずだ。いや、実際身に付け、口にするのだから、そうするべきだ。

国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報
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[ 2009/01/29 12:33 ]

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経済がわかる国際ジャーナルは国際的
現代画報で秋見つけた
10月号“現代画報”の表紙に目と足が同時にとまる。
朱色に染まる、京都・金蔵寺の紅葉。

本堂へあがる階段は、
紅葉のトンネルと紅葉のじゅうたんで
目にしたものを秋へと誘う写真である。

特集は、[脱・原油依存型社会の実現に向けて]。
相変わらず興味深いテーマだ。

これまで「報道」、「経済」、「社会」などに疎かったこんな
自分でさえ、原油価格の高騰により、ドライブや朝ごはんといった日常のささやかな幸せでさえも薄く小さくなっていく今に不安に感じる世の中だ。やれ通り魔だの、無差別殺人だの、オレオレ詐欺だのと物騒な事件が毎夜テレビやラジオのニュースから報道されるようになって、気づけばもう随分になる。

つい先日のことのように思われていたディズニーリゾートの拡大や皇太子様の結婚・・・といった世間を幸せにする明るいニュースは、今や報道番組の中に組み込まれる空きさえ失っているし、あってもスポーツ報道くらいである。


そんな息苦しさの中において、現代画報が問いているのは、「我々がいかに原油に依存しているかということ」である。間違ってはいけないのが、暗い話題ではないということ。これらを背景にして落ち込むばかりでは、回復を待つばかりでは、進まないということ。崖の淵にいるからこそ発せられる、新たなエネルギーがあるのだ。

一度失敗や挫折をした人は、周囲の優しさや大切さに誰よりも分かるようになるし、恐れるものも無くなる。一度大きな過ちをおかした人は、二度と起こらないようにするための策を身につける。阪神大震災という自然の大災害を経験した私たちは、おそらく同じことがあっても、あのときの教訓を少なからず生かせるはずである。

それら同様に、現状をよく見てこそ現れる道筋があると思う。それが見えたとき、きっと各報道番組からは、明るいキャスターの声が聞こえるはずである。
奥深き日本語
外国映画の和訳字幕を見ていればいるほど、日本語の表現は実にたくさんあるのだということに改めて気づく。

1つのことをあらわす単語や文がたくさんあって、使い方や使う場所によって相手への微妙な伝わり方が変わってくる。

例えば・・・・
嬉しいわ
嬉しいよ
嬉しいの
嬉しいです
嬉しい
嬉しいっ
嬉しっ

など。メールに書くときにも、最後につける語尾を何度も書き換えることだってるくらい、たくさんある。

こうした表現の多い難しい日本語のおかげで、近年は間違った日本語が当たり前に使われていることが問題視されているようだ。

例えばカフェに行って、珈琲を注文すると
「珈琲のほうでよろしかったでしょうか」
と店員が注文を繰り返してくる。

※何気なく「はい」と応えているが、
「珈琲と紅茶の二者選択」から選んでいるわけではないため
「珈琲でよろしいでしょうか。」
でいいはずだ。そしてさらに、過去に注文したものを掘り返してきているわけではないので「よろしいでしょうか」が語尾にくるのだ。

つづいてお金を支払うと、店員が
「500円からお預かりします」
といってお金を受け取る。しかし、ここでも大きな間違いが有る。500円「から」1000円(仮に)までといった曖昧な数を支払っているわけではないので、「500円お預かりいたします」でいい。

さらに出来た珈琲を持ってきて
「こちら珈琲になります」
と言って珈琲を差し出す。ここでも、ストップである。珈琲はこの後珈琲に変身したり、あるいは何かに変身するわけではないので、「お待たせしました。ご注文の珈琲でございます。」で充分だ。

このように、いいやすさやよく聞く言葉を何気なく使うと間違った日本語ばかりで暮らしていることになる。

これを聞いて育つ子供たちや、各地で聞く外国人観光客も間違った日本語を当たり前のように覚え、使っていく。やがて日本は間違った日本語だらけとなってしまう。

恐ろしいもので、人間はなれると違和感がなくなってしまい、逆に定着した後で訂正されたことにより強い違和感を覚えてなかなか修正が効かないというようなことにもなる。

私達は日本に産まれ、たくさんの表現により、より豊かに物事を捉えて伝えることができるのだから、それを誇りに思いながら正しい日本語を巧みに使いたいものだ。

参考文献:国際通信社グループ 報道通信社/報道ニッポン
DVの被害の対策
今日のニュースでDV(ドメスティック・バイオレンス(ドメスティック・バイオレンス=配偶者間暴力)について、以下の記事があった
※以下抜粋
-----------
1月に施行された改正DV防止法で、市町村の努力義務とされた「被害者支援の基本計画」を作成した自治体が、全国1782市町村で3市しかないことが内閣府の調査で分かった。同様に努力義務となった「配偶者暴力相談支援センター」設置も8市のみ…
以下省略
-----------

DVの現状がどれだけ認識されていないかということの表れのように思う。ニュースなんかでは、妊婦受け入れ拒否や、未検診、詐欺問題や殺害や強姦などが取り上げられ、死に至るような暴力でなければとりあげられないせいか、DVという言葉さえみんな知っているが、その実態や現状を全然把握していないのだなと改めて感じた。

私の周りでは、DV被害によって離婚を望んだが、それさえ言い合う場がもてないと命からがらといった形で(言い過ぎではない)子供を抱えて実家に逃げ隠れているような人が2人もいる。

何も悪いことをしてないのに、出かけるにも怯え、電話の着信音でもビックリするような生活を送っているのだ。

人目に付かないように行なわれるこよの多い家庭内の暴力を他人が防ぐことは非常に難しい。だからこそ、被害者支援の基本計画がたちあがったのだ。“立ち上がった”という事実は、既に深刻化しているからこそ起こることであることを、公的な機関で働くひとはもっと理解するべきではないだろうか。

報道ニッポン
現代画報
国際ジャーナル
国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報
国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報
[ 2009/01/29 12:32 ]

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昨日見つけた国際ジャーナルは幅広い
8月の国際ジャーナルの時事コラムで見つけた「学校裏サイト」の題。
私が高校生だった数年前は、まだ「裏サイト」なんて言葉はなかったが、
それでも、ケータイを駆使する人たちから見せてもらった。
自分の通っている学校の裏サイト。

主にBBSと呼ばれる書き込みページのみで作られているそのサイトを
あえて傍から見てみると、知っている名前がいくつか出てくる。

いわゆる 人 気 者 の生徒の名前である。

発起人や発言者が誰かを分からなくするだけでなく、
誰かに偽ることができることを悪用することも可能な
ツールだけに、その恐ろしさは無限である。

“誰でも知っているような人気者”でも、
誰かのひょんな一言で、“嫌われ者”にさえなってしまう。
ちょっとした一言が、許されなかったり、
ちょっとした行動で、取り返しが付かなくなったり、
間違えや失敗やうっかりが、認められないようだ。

誰も本質を見ていない(見なくなった)のかな。

嫌なことや楽しいことがあっても、
何も無かったかのように平凡に毎日を暮らせば、
誰かに何も言われずに平和に暮らせる、といった“間違い”を
皆で認めるのではなく、

嫌なことや楽しいことがあった時に、
それらを時に共有して見守って暮らすことで、
刺激ある人生や平和な毎日を送れる、といった“幸せ”を
当たり前にしていくべきだと思う。


放課後以降の時間に、ケータイだけみてるほどもったいないことはない。
学校以外の友達や家族との大切な時間だと思うから、
いっそ、
学校以外でこそケータイ禁止になっちゃえばいいんじゃないかな?
って、それはいいすぎかな。8月の国際ジャーナルの時事コラムで見つけた「学校裏サイト」の題。
私が高校生だった数年前は、まだ「裏サイト」なんて言葉はなかったが、
それでも、ケータイを駆使する人たちから見せてもらった。
自分の通っている学校の裏サイト。

主にBBSと呼ばれる書き込みページのみで作られているそのサイトを
あえて傍から見てみると、知っている名前がいくつか出てくる。

いわゆる 人 気 者 の生徒の名前である。

発起人や発言者が誰かを分からなくするだけでなく、
誰かに偽ることができることを悪用することも可能な
ツールだけに、その恐ろしさは無限である。

“誰でも知っているような人気者”でも、
誰かのひょんな一言で、“嫌われ者”にさえなってしまう。
ちょっとした一言が、許されなかったり、
ちょっとした行動で、取り返しが付かなくなったり、
間違えや失敗やうっかりが、認められないようだ。

誰も本質を見ていない(見なくなった)のかな。

嫌なことや楽しいことがあっても、
何も無かったかのように平凡に毎日を暮らせば、
誰かに何も言われずに平和に暮らせる、といった“間違い”を
皆で認めるのではなく、

嫌なことや楽しいことがあった時に、
それらを時に共有して見守って暮らすことで、
刺激ある人生や平和な毎日を送れる、といった“幸せ”を
当たり前にしていくべきだと思う。


放課後以降の時間に、ケータイだけみてるほどもったいないことはない。
学校以外の友達や家族との大切な時間だと思うから、
いっそ、
学校以外でこそケータイ禁止になっちゃえばいいんじゃないかな?
って、それはいいすぎかな。8月の国際ジャーナルの時事コラムで見つけた「学校裏サイト」の題。
私が高校生だった数年前は、まだ「裏サイト」なんて言葉はなかったが、
それでも、ケータイを駆使する人たちから見せてもらった。
自分の通っている学校の裏サイト。

主にBBSと呼ばれる書き込みページのみで作られているそのサイトを
あえて傍から見てみると、知っている名前がいくつか出てくる。

いわゆる 人 気 者 の生徒の名前である。

発起人や発言者が誰かを分からなくするだけでなく、
誰かに偽ることができることを悪用することも可能な
ツールだけに、その恐ろしさは無限である。

“誰でも知っているような人気者”でも、
誰かのひょんな一言で、“嫌われ者”にさえなってしまう。
ちょっとした一言が、許されなかったり、
ちょっとした行動で、取り返しが付かなくなったり、
間違えや失敗やうっかりが、認められないようだ。

誰も本質を見ていない(見なくなった)のかな。

嫌なことや楽しいことがあっても、
何も無かったかのように平凡に毎日を暮らせば、
誰かに何も言われずに平和に暮らせる、といった“間違い”を
皆で認めるのではなく、

嫌なことや楽しいことがあった時に、
それらを時に共有して見守って暮らすことで、
刺激ある人生や平和な毎日を送れる、といった“幸せ”を
当たり前にしていくべきだと思う。


放課後以降の時間に、ケータイだけみてるほどもったいないことはない。
学校以外の友達や家族との大切な時間だと思うから、
いっそ、
学校以外でこそケータイ禁止になっちゃえばいいんじゃないかな?
って、それはいいすぎかな。

報道通信社
国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報
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[ 2009/01/29 12:32 ]

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昨日見つけた国際ジャーナルの紙面
報道ニッポンで知る
チーム・マイナス6%

ネットサーフィンをしていると、随分このロゴを見かけるようになった。ECサイト、ミュージシャンのサイト、企業のサイト、いわば、僕らは取り組んでるんだよという積極性や優しいイメージを与えるものになっているのかも知れない。

このチーム・マイナス6%は、京都儀提所の発効を機にスタートした地空温暖化防止のプロジェクト・・・・と書くとなんだかややこしく聞こえるかも知れないが、要は、ゴミを分けて出そうよ、とか、使い捨てはやめようよ、とか、無駄な資源の使い方はやめうよ、というものだ。

温暖化に貢献しているんではないかといえるほど、
日本の資源の無駄使いは激しかったが、
私は、日本人ならできないことはないと考えている。

なぜなら日本は、世界を通して見ても珍しいほどの“もったいない感情”が根付いた国だ。たとえ少々太ろうが、捨てるよりはいいと食べ物は残さずきれいに食べるし、あまったり使っていない有効資源は持って変えるいったことが当たり前に染み付いている。

使い捨てされている時代でも、「もったいないけどなぁ」と思っている人のほうがおおかったはずだ。ところが、いったん皆が当たり前に無駄使いをし出すと、その感情はたちまち内にふさがれてしまう。だからこそ、みんながチームとなってできる取り組みをスタートさせたのだ。

今度は得意のもったいない感情で、地球に優しいことを心起きなく取り組めばいいだけのことなのだ。さぁ、やってやろうじゃないか!高齢者問題
ここのところ、ドキュメンタリー番組が増えてきている。
その背景には、1時間でさえもテレビの前にじっとしておけない
若者のテレビ離れの進む中、いかに短時間に面白いものを
見せるかとしてきた結果、内容が薄くワンパターンとなった風潮が
ある一時代を追え、ホンモノ志向に変わりつつある視聴者へ向けた
一種の挑戦でもあるのかもしれない。

その成功を売らずけるかのように、先日放送された、
かつて大人気を博した役者の老後生活を追いかけたドキュメンタリー番組が高視聴率を記録したそうだ。

実は、私も釘付けになってその番組を見ていたひとりだ。

現在人の手を借りなければうまく生活のできない妻と、その妻を献身的に支える夫。かつて活躍していた夫婦は、おおきなお屋敷を離れ、都内のマンションで細々と暮らしているのだと、テレビが伝えていた。

我が家も例外ではない。早くに妻をなくしてしまった私の父は、仕事をしながら、そして介護なしでは生活のできない祖母を介護しながら、二人の娘を育てている。世間とは、一般的大多数の状況をとって判断するからか、父子家庭の我が家にはほとんど国からの援助はない。加えて、高齢化社会の進む昨今で、簡単に低価格で介護施設を利用することは困難である。

こうした救いの手すらどこにもない中で、今やこうした介護問題は、おそらく隣の家でも、隣の隣の家でも起こっているだろう。来年、再来年になれば3軒隣も4件隣の家にも、ひどい地域では町全体がそうなる。

一方では介護を避けて同居を拒ばみ、介護放棄によって死者が出たりする。元気なお年寄りは詐欺などの標的とされやすいと数々のところで言っているが、おじいちゃんやおばあちゃんがしっかり生きてきたからこそ今があることを考えなければならない。自分達がおじいちゃんやおばあちゃんになったときのことを考えなければならないのだ。

次代を担うのだという責任の持ち方が、極端に分かれてきている現状をとても不安に思う。つい先日、またもニュースで牛乳の価格が上がると報道されていた。パン、小麦粉、牛乳、が例えば20円上がれば、それぞれ1ヶ月に買うだけの個数×(かける)20円しなければならない。すると今回も、牛乳の欠かせない我が家は、一週間に2本のスピードだからまた毎月100円ほどの節約をして牛乳へまわさなければならない。既にしているパンや小麦粉への節約に加えての今回の節約…。“節約”って言うけど、どの家庭も、もう節約しすぎて節約する箇所すらないんじゃない?これだけみんながんばってるんだから、たまにフレンチでコース料理くらい食べたいのに、それすら節約、しないといけない時代なんだろうと思うと、お先真っ暗。

で、昨日バーのカウンターで牛乳値上げが苦しいと嘆いていると、日本が抱える物価の下落を指摘された。デジカメは今や2万円も出せば何百万画素数に加え、ズーム、顔認識機能という高性能のものが簡単に買える。大型液晶テレビも、10万円出せば、部屋に似つかわしくないほど大きなものが買えてしまう。牛乳は10円上昇しているかもしれないが、大型製品は何千円、何万円も下落していっているのだ。もちろんこの下落は消費者にとってみればありがたい話だけど、これは、各社から、選びきれないほど多くの製品がでていて、その製品を売るために作るために、米や牛や作物を育てている人の倍ほどの人が働いているということなのだ。


もちろんこの製品や製品に関わる技術は日本にとって大きくそして大事な財産だけど、今日や明日を生きるために必要な食料が数ヶ月に1度上がっているのでは、日本人という最も大事な財産を苦しめることになっている。果たして、私たちはそれほど苦しい思いをして生きないとダメなのか?

国際ジャーナル
報道ニッポン
現代画報
現代通信社
現代通信社
[ 2009/01/29 12:32 ]

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