国際ジャーナル「逸店探訪」 国際ジャーナル誌(株式会社 国際通信社:発行)の人気トピック「逸店探訪」のコーナーには、街の表情が色濃く出ている街のお店が紹介されています。
例えば「土曜日の朝に出かける喫茶店」
誰かの朝の顔である喫茶店は、違う誰かの昼のくつろぎでもあり、誰かの夕方の友達で、平日毎日訪れるサラリーマンの息抜きかも、しれません。そうして街のいろんな顔になれるお店は、どの街にもあって街の人を暖かく迎えている。日常に溶け込む余りに、なかなかその暖かさに気づかないけど、引っ越してみたあと、改めて気づくのだと思います。
何でもないけど、ちょっとしたことがあなたに自然にそっとピッタリあっていることこそが、愛する店の暖かさである。珈琲の苦さ、カップの厚さ、週間誌のセレクト、新聞の数、トイレのキレイさ、店主との会話、トーストの焼き具合…。
何一つとして同じものはないそんな街の表情=店の表情が分かる貴重な頁ばかりです。現代っ子と漫画 子供のころは、それほど漫画を読まなかったのに 最近漫画にハマり出した。子供のころ友達が読んでいた いわゆる自分世代の漫画を今更読んで、 恥ずかしながら、何故あのとき読まなかったんだと 少々後悔すらしている。
漫画は日本の文化だという声がちらほら聞こえ、 その声に賛成しない意見もあるが、 素晴らしい作品を読めば、文化にしたいと心から思う。
活字だけが並ぶ小説よりも、想像力を使うこともあれば、 テレビドラマよりも、見えないストーリーを思い描くこともある。 主人公になりきる、のではなく、第三者=いち脇役として 物語を見守ると、自分のこれまでの経験をいつしか重ね合わせて 行き方をも学ぶことがある。
国際ジャーナルで漫画に関する気になる記事を見つけた。 「子供が漫画を読まなくなった?」というものだ。 漫画(雑誌)の売り上げが年々落ちている。休刊や廃刊する 人気雑誌も続々でている。これは、子供の漫画離れが進んでいることが 大きな理由に繋がっているようだ。
主な理由は「読んでいる時間がない」そうだ。塾、お稽古に大忙しの 現代社会の背景がもろに出ている。加えて、「ゲームと違って主人公になれない」という理由もあるようだ。コントローラーで自由自在に進行方向やストーリーを作り上げられる性能の高いコンピューターゲームのほうが魅力的なようだ。
しかし、ゲームからは、次をどうクリアするかということ=失敗しないためにどうすればいいかを考えることはできるが、ゲーム自体から何かを感じることはできない。
今更ながら私がいろんな漫画を開いて思ったのが、全てがキレイに描かれているわけではないということだ。主人公は何度も失敗するし、脇役は何度も主人公を裏切るし、どうにもならない状況を描いている。
あらゆる性格を持った登場人物の思いを考える。性格を考える。失敗してもいい、普通でもいいということを学ぶ。自分に置き換えて想像する。正しいか正しくないかを考える。そうしたいろんな考えや思いが頭を占める。
今と子供のころとでは、違った思いを描いたと思うが、それでも多かれ少なかれあらゆる考えや思いを抱く。ゲームやテレビ、小説と同じではない漫画独自の魅力がある。漫画という文化が現代社会から薄れる前に、漫画という文化が日本におてもっと確立すれば、と願う。経営の悪化による私たちの注意点 今朝のニュースで、教習所破産の報道があった。 教習生が支払った料金の全額返金が厳しいだけでなく、 他の教習所への転進手続きや、従業員である講師陣の 突然解雇によるフォローもなく、関係者の怒り爆発といった 様子がテレビから流れていた。
びっくりしたのは、高齢者だけが残された 過疎化地域ではなく、若者の多い東京都だということだ。 受講生は約1,700人。負債は数十億円もあったと伝えていた。 もちろん、街での運転はそれほど必要とは言えないが、 社会に出れば、運転免許が必須となる職業もある。 就職を前に、がんばってためたバイト代で免許取得に向けて がんばっている人にとっては、途方に暮れる状況だ。
最近経営の悪化によってこうした破産が相次いでいる。 経営停止の直前に知らされるケースも多い。 暮らしやすいとは言えない経済状態を抱える人も多い世の中で 一瞬にして仕事を失う人もいて、その中には再就職が厳しい 人もいて、ますます生活が苦しい人もいる。
たとえ周囲の評判がよくても、利用者がたくさんいても、 多額の料金がかかる場所へは利用者が注意するしかないのかもしれない。
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