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奥深き日本語
外国映画の和訳字幕を見ていればいるほど、日本語の表現は実にたくさんあるのだということに改めて気づく。 1つのことをあらわす単語や文がたくさんあって、使い方や使う場所によって相手への微妙な伝わり方が変わってくる。 例えば・・・・ 嬉しいわ 嬉しいよ 嬉しいの 嬉しいです 嬉しい 嬉しいっ 嬉しっ など。メールに書くときにも、最後につける語尾を何度も書き換えることだってるくらい、たくさんある。 こうした表現の多い難しい日本語のおかげで、近年は間違った日本語が当たり前に使われていることが問題視されているようだ。 例えばカフェに行って、珈琲を注文すると 「珈琲のほうでよろしかったでしょうか」 と店員が注文を繰り返してくる。 ※何気なく「はい」と応えているが、 「珈琲と紅茶の二者選択」から選んでいるわけではないため 「珈琲でよろしいでしょうか。」 でいいはずだ。そしてさらに、過去に注文したものを掘り返してきているわけではないので「よろしいでしょうか」が語尾にくるのだ。 つづいてお金を支払うと、店員が 「500円からお預かりします」 といってお金を受け取る。しかし、ここでも大きな間違いが有る。500円「から」1000円(仮に)までといった曖昧な数を支払っているわけではないので、「500円お預かりいたします」でいい。 さらに出来た珈琲を持ってきて 「こちら珈琲になります」 と言って珈琲を差し出す。ここでも、ストップである。珈琲はこの後珈琲に変身したり、あるいは何かに変身するわけではないので、「お待たせしました。ご注文の珈琲でございます。」で充分だ。 このように、いいやすさやよく聞く言葉を何気なく使うと間違った日本語ばかりで暮らしていることになる。 これを聞いて育つ子供たちや、各地で聞く外国人観光客も間違った日本語を当たり前のように覚え、使っていく。やがて日本は間違った日本語だらけとなってしまう。 恐ろしいもので、人間はなれると違和感がなくなってしまい、逆に定着した後で訂正されたことにより強い違和感を覚えてなかなか修正が効かないというようなことにもなる。 私達は日本に産まれ、たくさんの表現により、より豊かに物事を捉えて伝えることができるのだから、それを誇りに思いながら正しい日本語を巧みに使いたいものだ。 参考文献:国際通信社グループ 報道通信社/報道ニッポン モンスターペアレント 現代画報7月号の記事では 「モンスターペアレント」の深刻化の原因として上げられるのは、 教師不信からがひとつとしてあげられると書いています。「うちの子を任せておけない」そういった保護者からの言葉は、とても多く聞かれるそうです。では、なぜそんな声があがるのか。 この原因の一つは、現在の保護者が学生だった頃の教育環境が大きく影響しているのではないかといわれています。タバコや校内暴力が頻繁に行なわれていた時代で教師と生徒が互いに信頼をしたり尊重したりすることの無かった現在の保護者は、「教師なんて」という意識を持っている。そこへ、近年のいじめ問題や自殺問題を解決できない学校がニュースで聞かれるとなると、親は当然のように学校への信用をなくしてしまっているのです。 「自分の子を大事にしたい」という親心は、決して否定することはできません。しかし、集団教育の現場において「自分の子を誰よりも大事にする」行動は自分勝手極まりないと思います。 中には、「子供とケンカをした相手の生徒を転校させてほしい」といった“普通”ではない保護者からの依頼を受けることもあると書いています。保護者であるならば、自分のその行動が、現代の教育現場にどのような影響を与えるかを考えなければならないと思います。 現代の教育現場は、未来の社会に繋がります。そして未来の教育現場に繋がります。愛する子供がやがて大人になって子供を育てるときに、どんな問題が起こっている社会が待っているのでしょうか。テレビで対決 明日、社会問題を取り上げた恒例のテレビ番組があるそうです。 テーマは社会・親子・教育。 “誰でも良かった殺人”や“教育委員会の不正”“ネット社会への依存”などの社会問題を取り上げて議論が行なわれようです。 伝えたいメッセージは 「今、私達がしなければいけないこと!」を考えて実践すること。 詐欺問題はもしかしたら明日貴方の身におこるかもしれません。 もしかしたら今日、被害者になるかもしれません。 子供が今どこかで問題に巻き込まれているかもしれません。 そんな社会の不安を少しでも小さくしていこう、 そう呼びかける番組。大注目しています。 多くの人が見て、考えるきっかけとなりますように。 報道ニッポン 現代画報 報道ニッポン 国際通信社 現代画報 |
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