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国際ジャーナル最新号
バタバタしていて、かなり遅れてしまったが、 国際ジャーナル11月号。 特集は「連鎖する無差別殺傷事件の悪夢・凶行の陰に潜む孤独な心」 だそうだ。 今日、明日、明後日の出勤中や帰宅中、もしかしたら仕事中に襲われるかもしれないという不安が常にある。人の多い駅や街中を歩いていると、次の瞬間指されるかもしれない、と人のカバンや手を目で追っている自分がいる。 特に目的もなく、あるいはちょっとした理由から殺人を犯す人が後を立たない。いきなりナイフで切りつける相手が親友や家族や誰であろうかまわず凶行する恐ろしい人物が、残念ながら稀ではなくなってきている。 防犯ブザーももはや効き目がない安心道具。 監視カメラも結局は事件を未然に防ぐことができない後の道具。 何もしてなくても、“無差別"にやられてしまうのだから、 もう個人での事件の防ぎ方は、家に引きこもるくらいしか 残されていないのではないだろうか。現代っ子と漫画 子供のころは、それほど漫画を読まなかったのに 最近漫画にハマり出した。子供のころ友達が読んでいた いわゆる自分世代の漫画を今更読んで、 恥ずかしながら、何故あのとき読まなかったんだと 少々後悔すらしている。 漫画は日本の文化だという声がちらほら聞こえ、 その声に賛成しない意見もあるが、 素晴らしい作品を読めば、文化にしたいと心から思う。 活字だけが並ぶ小説よりも、想像力を使うこともあれば、 テレビドラマよりも、見えないストーリーを思い描くこともある。 主人公になりきる、のではなく、第三者=いち脇役として 物語を見守ると、自分のこれまでの経験をいつしか重ね合わせて 行き方をも学ぶことがある。 国際ジャーナルで漫画に関する気になる記事を見つけた。 「子供が漫画を読まなくなった?」というものだ。 漫画(雑誌)の売り上げが年々落ちている。休刊や廃刊する 人気雑誌も続々でている。これは、子供の漫画離れが進んでいることが 大きな理由に繋がっているようだ。 主な理由は「読んでいる時間がない」そうだ。塾、お稽古に大忙しの 現代社会の背景がもろに出ている。加えて、「ゲームと違って主人公になれない」という理由もあるようだ。コントローラーで自由自在に進行方向やストーリーを作り上げられる性能の高いコンピューターゲームのほうが魅力的なようだ。 しかし、ゲームからは、次をどうクリアするかということ=失敗しないためにどうすればいいかを考えることはできるが、ゲーム自体から何かを感じることはできない。 今更ながら私がいろんな漫画を開いて思ったのが、全てがキレイに描かれているわけではないということだ。主人公は何度も失敗するし、脇役は何度も主人公を裏切るし、どうにもならない状況を描いている。 あらゆる性格を持った登場人物の思いを考える。性格を考える。失敗してもいい、普通でもいいということを学ぶ。自分に置き換えて想像する。正しいか正しくないかを考える。そうしたいろんな考えや思いが頭を占める。 今と子供のころとでは、違った思いを描いたと思うが、それでも多かれ少なかれあらゆる考えや思いを抱く。ゲームやテレビ、小説と同じではない漫画独自の魅力がある。漫画という文化が現代社会から薄れる前に、漫画という文化が日本におてもっと確立すれば、と願う。映画の批評 宮崎駿監督のスタジオジブリ最新作「崖の上のポニョ」 映画が公開されるやいなや、数々の批評があった。 レビュー記事、取材を通じた記事に、期待していたが・・・ という言葉を何度か見た。加えて何かや誰かを指摘する際に必ず出てくるどうすればもと良かった。どうして欲しかったという意見。 映画がエンターテイメントである以上、 お気に召さなかったのはしょうがないが、 こうした批評となると、此れから観る誰かへの先入観にしかならない行動だ。 誰かの期待通りのものが作れるのなら、その期待には安い価値しかないと思えてならない。 正直、批評のしようがない逸作だった。また観たい。何度も観たい。個人的な考えになるが、具体的物事をあげた批評より、どこがいいかわからないけどとにかくとても素晴らしいという意見が、映画の場合はなんだリアリティがあって、信じたくなる。 事実、たとえようのない感情は、この世にいくらでもある。 報道ニッポン 現代画報 報道ニッポン 報道通信社 現代画報 |
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