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映画の批評
宮崎駿監督のスタジオジブリ最新作「崖の上のポニョ」 映画が公開されるやいなや、数々の批評があった。 レビュー記事、取材を通じた記事に、期待していたが・・・ という言葉を何度か見た。加えて何かや誰かを指摘する際に必ず出てくるどうすればもと良かった。どうして欲しかったという意見。 映画がエンターテイメントである以上、 お気に召さなかったのはしょうがないが、 こうした批評となると、此れから観る誰かへの先入観にしかならない行動だ。 誰かの期待通りのものが作れるのなら、その期待には安い価値しかないと思えてならない。 正直、批評のしようがない逸作だった。また観たい。何度も観たい。個人的な考えになるが、具体的物事をあげた批評より、どこがいいかわからないけどとにかくとても素晴らしいという意見が、映画の場合はなんだリアリティがあって、信じたくなる。 事実、たとえようのない感情は、この世にいくらでもある。エコ小学校 報道番組で、エコの取り組みの特集を見たので そこのとを書きたいと思います。 近年、環境配慮の取り組みから“エコ”という言葉が 効かれますが、小学校でもエコ活動といって ゴミを集めたり、草花を育てたり、電気代を削減したりと 自分達に出来るエコ活動が盛んなようです。 全国で数百の学校は文部科学省が認定するエコ小学校とされており、 書く学校ではソーラー発電を設置したり、ゴミ収集活動が盛んに行なわれています。 私の見たニュースでは、エコ活動をするごとに、学校のみで使える通貨「1エコ」がもらえ、チケットを受け取ります。このエコ通過を集めると、定期的に学校が実施する交換会にて、チューリップの球根や朝顔の種、時に学校で使えるアルミたわしなどに交換できる仕組みです。 子供たちは家庭で出た牛乳パックを集めて持ってきたり、登校中に拾ったゴミを集めて持ってきては、エコ単位をもらっていました。 学校では、子供たちにエコ活動は“楽しいもの”だというイメージをもってほしいとのことで実施しているとのことでした。 メリットがたくさん産まれるこうした取り組みは、大人たちも見習うべきだなと思います。 参考:国際通信社 発刊/国際ジャーナルいち時代の終幕 90年代の音楽シーンを担ってきたとも言っていい人が 詐欺容疑で逮捕されたというニュースがここのところ毎日流れている。 庶民である私は、毎日スーパーで190円のトマトにしようか 250円のトマトにしようかと迷いながらも、 当たり前のように190円のトマトをかごに入れる。 でも、早く250円のトマトが買える豊かさがほしいと 願っていても、たとえ多少の出生でお金が稼げたところで、 250円のトマトは私にはいつまで経っても買えないのだと思う。 おそらく私は、金銭的な豊かさをもっても、トマトの優先度を下げて いい車を買い、いい家を買い、遠くへ旅行に出かけてしまうのだと思う。 結局のところ、節約している箇所(=250円のトマトトマトを買うこと) が変わることは、宝くじの1等前後賞付で当たらない限りは 訪れることはなく、ずっと庶民でい続けるのだと思う。 それでも私は、ひろい家に住めるのなら、190円のトマトは いつまででもおいしく食べられる。なんなら100円のトマトでもいい。 渦中の音楽家も、トマトは250円を食べていたかもしれないが、 どこかで同じ節約をしていたのではないかと思う。 10億を稼げば、5億を必要とする事業をするだろうし、 1億円の買い物をいとも簡単にするだろう。 豊かさの度合いや感覚は違うが、全体の割合は 案外私達とそう変わらないのかもしれない。 一度頂上まで上り詰めてしまった人が、 次に目指すのは、更に高い山の頂上だ。 簡単に買える250円のトマトでは満足できない。 190円のトマトを美味しく食べるには、 250円のトマトを買えない生活をしなければいけない。 大きな山へ何度も何度もくじいて転びながら上ったのであれば 山の下へ戻る方法は一気に崖へ転落する以外はないのかもしれない。 ただ、もう深い崖の下を見たのだから、それ以上の下はもうない。 100円のトマトも190円のトマトも美味しくありがたくいただける。 美味しい250円のトマトを食べられる努力を知っているのだから、 後は上を見て、これまでの知恵を生かして素早く上ればいいのだ。 90年代はとっくに終わって2000年が既に始まっている。 2010年代、20年代が先には待っていてくれるのだから、 着実にそこに向かえばいいのだと思う。 報道通信社 国際通信社 現代画報 国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報 国際ジャーナル・報道ニッポン・現代画報 |
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